バンコクへの旅立ち日記 in 2000.

第一弾


By 木谷 公哉(kitani@cseas.kyoto-u.ac.jp)


Sony CLIE (Palm)上で書いた日記を編集して載せています。
今回は安田氏とともに行くことになった。

2000.07.03
  タイへ到着。日本人観光客が大勢いたため、入国審査に時間がかかった。ここでは、飛行機から空港までバスが出ている。
空港で、安田氏が100バーツを小銭に両替しようとしたら、1バーツを100枚出してきた。これを面白がって、そのまま受け取ってしまわれた。現地の先生に到着の連絡をするために電話をかけようとしたが、ひとつ目の電話がどうやら壊れているらしく、こちらからの声が聞こえてないらしい。ご本人がでられたみたいだった。もうひとつの電話でやっと連絡がついた。
  ホテルまではタクシーでいったほうがいいとおっしゃられた。ここでの市内電話は1バーツだった。かなりやすい。ちなみに1バーツは3円程度で、貨幣価値としては、バーツ×10ぐらいと思えばいい。
  つまり100バーツならば、日本での価値は1000円ぐらいのものだと思ってもらいたい。ここで安田氏がレンタル携帯を購入される。一日350バーツと安かった。保証金として、35000バーツとられるが、ちゃんと返したら戻ってくるので問題がない。GSM電話をレンタルされたが、以前の電話の持ち主への電話が結構殺到したみたいだ。Information Serviceにてタクシーのことを安田氏が尋ねられると、ホテルの方がこられ名簿を確認されて、指定のタクシーに乗るようにすすめられた。
  600バーツという料金だった。まぁそんなもんだろうと思った。ちなみに車はボルボだった。また距離は1時間少々だった。
  ホテルについてしばし休憩した。ホテルの部屋はすごくいい部屋だった。2578バーツもするだけのことはある。ホテルはGrand Pacific Hotelだった。東京ディズニーランドのGrand Pacific Hotelに以前半額のチケットを手に入れたので、泊まったことがあるのだが定価は25000円だった。。。すごく高い!!
  現地の先生と午後7時にホテルのロビーで待ち合わせして、タイ料理を食べにいく。かなりおいしかった。おなかの調子も快適だった。その後はバンコクオフィスをちょっとだけ見学してからホテルに戻りメールを書いたが、眠たくなったので、寝ることにした。



2000.07.04
  朝9時にロビー出発だったので、8時前に起きたのだが8時30分ぐらいに迎えがきたので急いで用意をした。パソコンとビデオとインターネット電話をもって、バンコクオフィスへ行く。
  想像していたオフィスではなく、マンションの1室をオフィスとしたということだった。ほかに何人かオフィスに働いている人がいると思っていたが、先生の他は、運転手とメイドさんの3名いるだけだった。
  まず朝飯を食べさせてもらう。ランブータンというデザートがものすごくおいしかった。外見はウニを赤くしたような感じだが、中はすごく甘くておいしかった。しかし食べ過ぎてお腹がゆるくなってしまった。バンコクオフィスのインターネット状況を午前中でもって調査した。それと新しく購入したCOMPAQパソコンの中身をみた。
  インターネット状況はすこぶる悪いことが判明。海外へ出る場合にTelelobeというアメリカのプロバイダを経由するのだが、これが問題。どのプロバイダもここを通過することによって、ロスト率が20%〜50%にもなっている。これでは回線スピードが上がったとしても、ぜんぜん駄目だ。(1年後に行ったときにはこの問題は解決されていたので、まだこの時期にはタイの通信環境が広まろうとしていた段階であったことが伺える)   このTeleLobeを通過しない経路を持つプロバイダがあればいいのだが、Niftyは駄目で、AT&Tは会員じゃないと情報を見せてくれない、IIJも駄目だった。先生がお持ちのAsahiNetを試せなかったが、これを明日試してみようと思う。昼ご飯を食べたときに、ドリアンを食べた。意外とおいしかった。俺はかなり気に入ってしまった。安田氏、その他のメンバーは駄目らしい。その後パソコンショップにいって、さまざまなものを買う。UPSやSW, EtherNet BoardやUSBシリアル変換ケーブルなどをみる。
  その後、一旦オフィスに買ったものをおいて、夕飯を食べにいく。ここで出た辛子のうち青みがかった唐辛子を口にいれて、、、痛い目にあってしまった。10分ほど行動不能に陥ってしまうほどの檄辛(いやもはやその表現を逸脱しているほど)だった。
  タイではタイマッサージが有名なので大学院生の方に連れて行ってもらう。いろんな種類があるらしいが、まともにマッサージをしてもらうところにいく、、、。指名制だったので、適当に指名してマッサージのみをしてもらう。緊張したせいであまり肩こりがとれてないかもしれない。



2000.07.05
   昼食を安田氏とともにホテルで食べる。二人合わせて800バーツもとられてしまった。うーむ高いなぁ。午前中にPCのセットアップおよびコンピュータウィルス対策をする。午後からは先生が行っておられるタマサート大学へ行って、インターネット電話を試してみようと思ったが、さすがにセキュリティ対策が万全(FireWall+NAT+DHCP+ProxyでもってIPを制御)で、外部へのPINGすら通過できないような設定になっていた(さすがだ!)。これによってインターネット電話が稼動できない環境であることが明らかになった。むむ残念! タイではパラレルポート+ZIPが主流となっており、シリアルポート自身がほとんどないという特徴があった。あっても、シリアルマウスが接続してあるのが大多数だった。
   余談だが、タイの大学において制服が好んで着用されているようだ。それにもかかわらず、街中ではあまり制服をみかけないのは不思議なことだ。また、日本のファッションが直接タイへと持ち込まれるらしく、現在厚底ブーツが大流行している。さすがに、、、ガングロはいなかった^^;
  そのまま夕食へと出かけた。中華料理店でおいしい老舗だそうだが、不景気の影響からか、貸し切り状態となってしまっていた。我々以外一人も客がいないとは、、、、。食事時にもかかわらず、我々以外は全くはいってこない。料理は美味しかったが、高かった。3人で3600バーツ必要だった。日本的価値観でいくなれば、一人12000円の食事代ということになる。ペキンダッグをメインに、フカヒレのスープなどを飲んだ、、、ってこれだけ食べたら高いの当たり前か^^; というより日本ではこんな値段で食べられないからなぁ。しっかり食べて、いったんオフィスに荷物をとりに行ってから、9時頃ホテルへと帰ってきた。
  かなりのハイスケジュールなので、多少疲れてしまっている。それよりも帰国後の討論会が一番心配だ。(7月第4週の木曜に討論会を行った)



2000.07.06
  シェルトンホテルにて朝食を食べる。すごく高いホテルらしい、全くその通りで朝食代もものすごく高かった。タイの物価が日本より格段に安くなければ、とても食べる気にはならなかっただろう。まわりを見てみると、なるほど、ターバンを巻いたいかにもお金持ちな方とか、高そうなスーツや時計を身につけたエリートっぽいサラリーマン風の方などがおられたね。
  その後タクシーをホテルから拾って、バンコクオフィスへと行ってもらう。英語自身通じなかったが、Soi 20という通り名を行って、後はこちらで見たらなんとか行けた。
  オフィスにて最後のセットアップを開始する。時間的にあまりなかったので、できる範囲のことをした。昼食はオフィスでいただいた。16時30分にオフィスを出て一旦ホテルへ戻り、その後Isetanに連れて行ったもらった。ここでシルクなどを見ながら2時間ばかり時を過ごした。出る時に激しいスコールに見舞われ、たまらずタクシーに飛び乗った。(すさまじい雨で傘など役に立つのかというレベルだった)行き先はホテルにした。場所がいまいちよく分かっていないらしかったが、地図を見ながらなんとか行ってくれた。結構親切な人だった。
  ホテルに着くと雨がちょうどやんでいた。ホテルの地下にはショッピングセンターがあったのでそこを見ることにする。ここで夕食を食べた。その後雨が止んでいたので、ぶらぶらと外を散歩することにした。麺類が食べたいという安田氏のご要望により、たまたま見つけたアンティークな洋風店へ入った。そこで私は赤ワインを飲んだ。これがすごくまったりとしていて美味しかった。見渡すと、ワイン蔵がありちゃんと保管されていたのにはびっくりした。店の人の対応もよかった。総じてバンコクでは人々の態度にものすごく好感がもてた
 明日は6時起きで6時30分にチェックアウトして7時ぐらいにはタクシーで航空に向かわないと、9時15分発の飛行機に乗れないので、あらかじめタクシーを予約してもらうことにした。安田氏が英語でぺらぺらと予約をしてくださった。うーむ、確かにこういうことを気づかないといけないなぁと思ってしまった。この日は特に疲れがたまっていて、ホテルへ帰りメールを読むなり寝てしまった。



2000.07.07
  悪夢にうなされて、はっと目がさめると6時前、、、慌てて起きて用意をしようとしたが、パスポートがない、、、がーんと思って30分間延々探し続ける。その間にも帰る準備はしていた。何とか30分後見つけたが、そのせいでぎりぎりのチェックアウトになってしまった。。。うーむ、反省。タクシーは高くて700バーツしたが、まぁしかたないだろう。空港についてから、安田氏が借りていた携帯を返しに行って、そして内部へと入った。そこで、買い物を少しする。私はバンコクの地図を買った。それから、飛行機に乗った。この飛行機はDC10といってかなりの旧式らしい。うーむ大丈夫だろうか? しかもベトナム上空に台風があるらしく、かなりの揺れがあるらしいとのこと。。。ありゃま、、、まぁいいかーと思いつつ、、、すぐに寝てしまった。かなり疲れていたんだと思う。ともあれ、帰りの7時間ずーと寝てしまった。さらに特急はるかに乗っている間もほとんど寝ていた。京都駅で行くときに、紐でくくっていた荷物がばらけてしまって大変だった。
  帰宅早々、メールをみたりしたがさすがに疲れていたのでねた。次の日は14時頃まで爆睡してしまった。ものすごく疲れていたんだなぁと思う。



後日
  今回の旅行で、タイという国の印象がかなり自分の中でよくなったと思う。天候的にもいいし、後は言語の壁さえなんとかできれば、永住してもいい気分になってしまった。今後また来ることがあるかもしれないので、そのときまでにはタイ語が少しはできるように努力をしたいと思っている。とはいえ、次はインドネシアのジャカルタへと行かねばならないので、先にインドネシア語を勉強する必要があると思う。今回は二人で旅をしたが、今度は私一人なのと、私のつたない英語レベルだけではかなり不安なので、さらなる言語の勉強の必要性を肌に感じた。

  そして、翌年またバンコクに行くことになった。。。。 第二弾へ続く>>>>>>