ジャカルタへの旅立ち日記 in 2001.

第一弾


By 木谷 公哉(kitani@cseas.kyoto-u.ac.jp)


Sony CLIE (Palm)上で書いた日記を編集して載せています。

2001.03.12
  朝早く起きたのは、久しぶりだ。朝5時に目がさめた。今回は持っていくものがnotePC以外特にないので、手荷物がほとんどない。この日のために整備しておいたVaio notePC(PCG-C1R)を片手に持っていくだけだ。ジャカルタは情報を得れば得るほど、危険な場所であることが分かったので、正直あまり行きたくないところだ。もちろん、私が思っているほど危なくないかもしれない。フライト時間は7時間30分程度。うーむ遠いな。
あれ、ちょっとまてよ。12:00-19:55って両方日本時間で計算してた。日本ージャカルタ時間で時差+2時間だから、げげっ約10時間!? まじですか。そういやーバンコクのときもかなり時間かかっていたわー。ショック。。。
  映画を一つ見たが、やることないのでこれを書いている。お腹の調子が朝から悪い。風邪だからだろう。現在日本時間で4時だ。ってことは日本時間で21:55で着くのかいな。まいったなぁ。 そういえば徐々に機内が暑くなってきている。むぅ、現地摂氏29度はほんとうなんだなー。

zzzZZZzzzz。。。(しばし眠る)

 うーん、よく寝たな。
日本時間6時だなぁ。 まだまだつかないなぁ。そろそろ夕食かな。ふと外見たら、無茶苦茶明るい。むぅ。それにしても暑い。今シャツ+カッターシャツで十分やな。
 おりょ、あと50分でバリ島に到着か。つまり日本時間19:00に着くらしいな。って一旦降りないといけないのか。面倒だな。それがあるからジャカルタまで時間かかるのね。
 バリ島の空港Kedatanganに到着。50分ほど留まるとのこと。半周するが、店の人が多くてなんか怖いなとの印象を受けた。バリ島を上空から見る限り、綺麗な所だと思った。バリ島のテレビでなんとゴレンジャーまがいのものがしてたけどストーリーがモンスターを倒すのは二の次で恋愛ストーリー化してる。なんじゃこりゃってかんじだな。
 日本時間20:00、すっかり夜になっていた。後1時間半程度で到着するな。まっ到着前に、時計を2時間早めるか。バリ島では1時間早いぐらい。
夕食が少量でた。五目ご飯だった。機内で一度もコーヒーを飲んでいないのがよかったらしくお腹の調子が今よりは悪化してない。ジャカルタ時間18:46、外は真っ暗。星すらない。
空港にてはやくもボッタくられた!
私の勘違いもあって10000ルピアのチップなのに10000円つまり800000ルピアをポーターに渡してしまった(騙された T_T;)。後日談:空港から出る際に荷物チェックがあり、そこにポーターの格好をした人たちがいて、荷物チェック後の荷物を隙あらば、数メートル運んでチップをもらおうとねらっているので注意が必要だ!)だって3〜4人に囲まれてこわいんだもんってことで、まぁいい経験になったかなと思う。(ジャカルタでの自家用運転手の一ヶ月の給料が2万円も貰えないんで、現地の人にとっては、むちゃくちゃ高額な金額だったと思う。)
 ジャカルタの町を入っている間にジャカルタ連絡事務所から迎えにきてもらった先生にいろいろとお話を伺った。
 ジャカルタの情勢は、スハルトの軍事政権が33年の終止符を打ち、民主主義へと移行しつつあるところだという。だが、町はまったく問題ないほど平穏だという。学生デモもあるらしいが、精細を欠いたものらしい。私が感じたジャカルタは、とにかく湿気が多くて蒸し暑い。私には住み心地がよいとは思えないところだ。先生の奥さんがジャカルタの方で、子供さんが3名、日本人学校へ通っている。このためかジャカルタ事務所には、終始日本語とインドネシア語が混ざったものが、反響していてにぎやかだった。
 通信事情を見ようと、Linuxで接続を試みるが、なんとVAIOのモデムが使用できないではないか! 国際電話をかけると使える所をみると、国際使用のモデムでないと使用できないみたいだ。接続はされるがそれ以降の応答がない。で、エラー制御をはずすと、ユーザ認証までいくがそこでハングする。
 ってわけで、現地のPCMCIAモデムをお借りすることにした。これで問題なく通信ができた。ロスト率をはかったら、4%程度。割と通信はうまくいっているみたい。
  ジャカルタ連絡事務所は高級住宅街にある一軒家だった。日本人からみれば、屋敷みたいな建物だけれども、紙幣価値が日本と比べると格段に低いために、安価に購入できるらしい。メイドさんとかの給料も日本では考えられないほど安いとのこと。物価の違いってやつかな。このときレートは、「1円 = 約80ルピア」だった。



2001.03.13
 今日は朝から一日中事務所内でパソコンのメンテナンスの仕事をしていた。
一日中していたので、かなり疲れたが満足のいく仕事ができたと思う。
データもそれなりに取れたし、先生から得られた情報も大きかった。夕方には外食した。かなりおいしい食事だった。スンダ料理だった。
  夜間はとにかく通信状況がよかったので、Yahoo Messangerを使って日本にいる人とチャットをしたりしてしゃべりあったりできた。概ね順調にいっているが正念場は明日だ。朝からコンピュータ関連の企業にいき、昼からはコンピュータ関連の買出しにいく必要があるからだ。手腕が問われるだろう。
 したがって、今日の日記はこれだけに終わろうと思う。また時間的余裕ができたときにでも詳しく書こうと思う。
 少しだけ、気づいた点を書くと、
ジャカルタでは、車の罰則規定が日本とちがっている点だ。
シートベルトやスピード違反はない。あくまで自己責任でおこなうとのことだ。罰則されるのは、右左折禁止、Uターン禁止、駐車違反が厳しい罰則となっているので、路上駐車がまったくない。バイクはバンコクと同じで、かなりあぶない運転をしていると思う。
車も、譲り合いってのがあまりないので自分では運転できないなぁと思った。



2001.03.14
 今日は10時からコンピュータ会社の方に会う予定なので、8時30分に起きて、シャワーを浴びた。
先生が起きてこられないので、とりあえず日記を書いている。
 おっと、下りてこられたので朝食を食べることにしよう。
渋滞のために、10分でつくところが、大幅に遅れてしまって、10時30分に到着。日本人スタッフが応対してくれた。かなり若いかたで気さくな方だったが、早口にしゃべられた。お互いの国の情報交換と、ケーブルTVの可能性、専用線、パソコン、プロバイダ等の情報を得る。
 昼食は、事務所でとり、それからマンガドゥアという電気街にて、ネットワーク機器を購入する。
 夕食は、来客された日本人の方と一緒に食事をする。バリ島の食事だった。うまれてはじめて、ヤシの実のジュースというやつを飲んだ。スポーツ飲料水の薄いものを想像してほしい。
 帰ってきたのが、午後9時30分。先生が子供を寝かしつけにいったので、しばしメールを読んでいたが、連日寝るのが午前3時とかなので、さすがに休憩しなくちゃとおもい、、、うとうとすること2時間。0時をまわってもおりてこられないので、そろそろ寝ようかなとおもったところ、下りてこられた。そしてそれから延々2時まで雑談する。ちょっぴり生命の危機を感じたりした。とにかく疲れた。
ちょいと働きすぎかなと思ってしまう。
あまり体力が低下すると、まじでおかしな病気になってしまう危険性があるので、これで寝ることにする。



2001.03.15
 昨日も寝たのが午前2時頃で、寝不足極まりない、不健全な生活をしている。今日朝起きたのが、9時前。だんだん起きられなくなるとともに、風邪が治らない(後日、日本に帰ってから、風邪でなくて細菌に感染していたことが発覚!! 無事治ったが怖かったよ〜。みなさん蚊に気をつけよう! 蚊からマラリア、デング熱のような怖い細菌が入ってくるのだ!!)。今日は喉がいたいなぁ。こまったもんだ。
 昼前に、マンガドゥアにてLAN関係部品を取りに行く。
 そこでもいろいろな情報を得ることができた。また、昼食を事務所とったあと、コンピュータ会社へいって、パソコン、プリンタを持ってかえる。
そして、大体2時00分ぐらいから、接続にかかる。
LANによって、どこからでも印刷できるようにして、さらにファイルの共有、ソフトの移行やE-mailの作成方法などなど、もりだくさんの設定をできた。今日で、作業はすべて完了することができた。かなりよいできだと思う。後は無線LANと常時接続ができたらもう、最先端の情報発信事務所となることだろう。



2001.03.16
 朝は11時頃に起きた。連日の寝不足だったからだ。シャワー浴びた後、先日会った日本人の方とそのた数人で、現在インドネシア大学の客員研究員に会いに行き、一緒に昼食を食べに行った。華人の店で食べた。その後民芸品がうっているデパートに連れていってもらい、お土産を買った。通貨単位が二桁違うので金銭感覚が麻痺してくるが、とりあえずいろいろと購入できた。
  この日は帰国する日だ! とはいえ23:59発の便だったので、ほとんど明日といってもいい時間帯だったけれども。空港までは運転手に送ってもらった。



2001.03.17
 ジャカルタ空港を出て4時間が立った。食事もしたし、快適に寝るためにワインを飲んだ(これが悪夢の始まりだったとは、、、)。疲れが和らいでいい気分だ。後は映画でも早くしてくれればいいなと思う。
 さっきお酒飲んでから、飲物がなくなった。しかも気分が悪くなってしまった。どうやら悪酔いしてしまったらしい。お腹も下っていた。酒を飲むと駄目ということが分かった。すごくしんどかって、寝られなかった。
 なんとか関空に到着。入国時に「○○日までに熱やその他異常がでた場合には、この紙をもって病院へ」という紙を貰った(これを使うことになるとはこの時点では想像すらしなかった。。)私の荷物がなかなかでてこない。30分ほどかかってようやく出てきた。最後のチェックの後、特急はるかの切符を買いに行った。発車5分前だったので急いで乗った。
 こうやって、私の初めてのインドネシアへの旅は終わった。



後日
  その次の日から体調が崩れだし、19日(月)には高熱と寒気と吐気と腹痛が同時に来て、立ち上がれなくなったため、急遽病院へ。 血液検査の結果、なんと細菌の度合いが高すぎるということだそうで、何らかの細菌に感染しているとつげられた!!! がーん、、、しかしながら不幸中の幸いか、治りかけているので抗生物質で治るとのこと。病名は詳しくしらべないと分からないが、調べるのも怖いし、治るんだったらということで、抗生物質もらってそれで完治させた。。ふぅ、、、今度いくときには蚊取り線香、長袖必須、スプレーも持っていくぞ!!と心に誓ったのだった。。。
  そして、翌年またジャカルタに行くことになった。。。。 第二弾へ続く>>>>>> (作成中)